Sigsand Manuscript

ウィリアム・ホープ・ホジスンとその周辺

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 エッセイ「文学と超自然的恐怖」の中の、ラヴクラフトによるホジスン評の続きです。

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 『ナイト・ランド』(一九一二)は何十億年も先の、太陽さえ滅亡してしまった遠い未来の地球を舞台にくりひろげられる大長篇(五百三十八頁におよぶ)物語である。十七世紀の男性が未来の世界にいる自分の生まれ変わりの肉体の中へ入りこんで行く夢物語といった仕立ては、ちょっと物語の方法としてまずいし、それに嫌になるほど冗長で繰り返しが多く、わざとらしいめそめそした成傷性も作品を大きく損ねているうえ、『グレン・キャリグ』の時よりもなお奇怪で馬鹿げた古臭い言葉遣いをしようとしている点も重大な欠点となっている。
 『ナイト・ランド』にはこのように数多くの欠点があるけれども、それでもなお異様な想像力が発揮されている実に説得力のある小説となっている。漆黒の闇につつまれた荒涼たる惑星の情景や、人類の生存者が途方もなく巨大な観念的なピラミッドの中に封じこめられ、闇に潜むまったく未知の怪物に取り囲まれている様子は、決して読者の忘れ得ないところであろう。まったく人間とはかけ離れた想像だにつかぬ姿の怪物──ピラミッドの外の、人跡未踏の人間に見捨てられた闇の世界を俳御する怪物ども──の様子が、それとなく暗示的に、多少は明確に描かれているのである。一方、深い裂け目が走り小さな丘が広がる、火山活動はもう殆どおこらなくなってしまったこの夜の世界の光景は、作者の見事な描写力によって、肌にひしひしと伝わるくらい強い恐怖の色を帯びている。物語の中間くらいのところで、主人公がピラミッドを出て、何万年にも亘って人間が足を踏み入れていない死の世界へと探査に出る。どこまでつづくとも知れぬ暗闇を、毎日ゆっくりと進んで行く主人公の様子が克明に描かれているが、一種の宇宙的規模の疎外感、息もつかせぬ神秘感、そして怯えながらも抱いている期待感といったものは、匹敵する作品がないほど巧く表現されている。最後の四分の一ほどの部分は悲しげにだらだらと話がすすんで行くけれども、小説全体の素晴らしい迫力を損うほどのものではない。
 ホジスン氏最後の作品『幽霊狩人力ーナッキ』は何年も前に雑誌に発表したやや長めの短篇を数篇集めた作品集である。質は、他の作品の出来をはるかに下回っている。「絶対に信頼しうる探偵」型──デュパンやシャーロック・ホームズの子孫、あるいはアルジャナン・ブラックウッドのジョン・サイレンスの親戚といった感じ──のやや伝統的な月並みの人物を主人公に据えて、様々な事件や場面を展開させるのだが、専門的な「オカルティズム」のにおいが強く、そのため著しく作品が損われている。しかし、確かに鮮烈な力強さをもった作品も中にはあって、この作者独特の才能を垣間見させてくれている。

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 以上が、このエッセイの中での、ラヴクラフトによるホジスンへの評価です。
さすがに、的確と言っていい評価ですね。
このエッセイは、読む価値のある、優れた怪奇小説への案内になっています。
これを読んでいると、荒俣氏らが、「世界幻想文学大系」や「妖精文庫」を編纂する際に参考にしたであろうもののひとつが、きっとこのエッセイだったんだろうなと、気が付きます。多分、ずっと若い頃にこのエッセイで紹介されている作家を、片っ端から読んでいったのでしょうね。
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 埋もれていた作家ホジスンの再評価に大きく貢献したのが、Cthulhu神話で有名なH.P.ラヴクラフトです。もともとはラヴクラフトのファンだったオーガスト・ダーレスによって、主にラヴクラフトの本を出版するという目的のために設立された小さな出版社、「アーカムハウス」。ここから1946年に出版されたのが、『The House on the Borderland and other novels』。書影が、その本です。この本が、ホジスン再評価の先鞭となりました。
 収録作品は、『The Boats of the "Glen Carrig" 』、
『The House on the Borderland』、『The Ghost Pirates』、の、いわゆる「ボーダーランド三部作」に、問題作『The Night Land』を加えたもの。つまり、ホジスンの全長編を収録したものでした。
 ちなみに、現在の古書価は、300ドルほどのようです
 
 ホジスンの作品に、ラヴクラフトが言及しているエッセイがあります。

「定本ラヴクラフト全集」7-Ⅰ 国書刊行会刊

に収録されている「文学と超自然的恐怖」というエッセイがそれです。
そのエッセイのなかから、ホジスンについて述べている部分を抜粋して、載せてみたいと思います。
テキストは、上記の本の中から。翻訳は、植松靖夫さんです。

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 出来、不出来の波がややある文体の持ち主ではあるが、日常生活の表面下に潜む世界を力強く暗示的に表現しているのが、ウィリアム・ホープ・ホジスンで、この作家は今日、不当にもあまり知られていない。ごくありふれた感傷的な捉え方で、宇宙、宇宙と人間の関係、人間同士の関係を見てしまう嫌いがあるけれども、非現実的世界を真面目に扱った点では、ホジスン氏はひょっとするとアルジャナン・ブラックウッドに次ぐ作家かもしれない。さりげなくほのめかしながら、あるいは些細なことを詳しく描写しながら、名状しがたい醜怪な侵略者が身近に迫っていることを暗示したり、土地なり建物なりの描写を通して異様なただごとならぬムードを醸し出す技巧では、とてもホジスン氏をしのぐ者などいないだろう。
 『グレン・キャリグ号のボート』(一九〇七)は、沈没した船の生存者が様々な、敵意に満ちた事件や恐ろしい未知の島と遭遇する物語である。小説の初めの部分にみなぎっている脅威には誰もが圧倒されてしまうであろうが、ただし、終わりの方になると、ありきたりの冒険譚に堕してしまっている。十八世紀の文章を再現しようというつもりなのだろうが、その不正確な浪曼派まがいの試みのおかげで全体の効果が台無しになっている。とは言え、本当に海の事に関しては精通している作者の博学ぶりが随所にうかがわれていて、それが救いになっている。
 『異次元を覗く家』(ホジスン氏の最高傑作かもしれない)は、アイルランドの孤立した奇怪な屋敷にまつわる話で、別世界の様々な驚異的な力がその屋敷へ集中し、地の底より現われた忌わしい怪物の棲み家と化する。語り手の精神が、果てしない宇宙の彼方と、無限の時の中を彷徨し、太陽系の終末を目撃するという話は、この作品に文学としての独自の地位を与えている。さらに、自然の風景を描きながら、そこに得体のしれぬ恐怖が待ち伏せしていることをそれとなく示す作者の手腕はさすがである。平凡な感傷に少し染まったところさえなければ、第一級の作品である。
 『幽霊海賊船』(一九〇九)は右記二作と合わせた三部作の締めくくりを成す作品で、最後の航海に出た不運な幽霊船に取り愚き、ついには船を計り知れない運命の中へとひきずり込む恐ろしい海の魔物(人間に似たようなところもあるので、ひょっとすると昔の海賊の霊かもしれない)を説得力あふれる筆致で描いている。船乗りならではの知識を自由にあやつり、自然界に潜む戦傑を間接的にうかがわせる事件を巧みに選び出して描いたこの小説は、うらやましいくらい場面に盛り上がりを見せることが時々ある。

(shigeyuki)

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