Sigsand Manuscript

ウィリアム・ホープ・ホジスンとその周辺

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 ホジスンの作品には、意外とパスティーシュが多いように思います。パスティーシュというのは、二次創作作品という意味で、ラヴクラフトのCthulhu神話などは、数もとても多く、その代表的な素材ですね。もちろん、ホジスンにはそれほどの数はないのですが、それでも、捜せば結構あります。ただし、「カーナッキ」、「異次元を覗く家」、「ナイトランド」、「夜の声」の四作品に、ほぼ集中しているようですが。
 ところで、パスティーシュが多いということは、作品が愛されているという証拠のような気もするので、これは歓迎すべき事実だという気がします。

 ここで紹介するのは、
 「ナイトランド---<冠毛>の一神話」
 という作品。
 作者は、グレッグ・ベア(Greg Bear)
 これは、「永劫」に始まる<道>というシリーズの外伝という位置付けの作品です。
 ちなみに、原題は「The way of all ghosts」。
 日本では、ハヤカワ文庫から出ているアンソロジー

 「SFの殿堂 遥かなる地平 ②」
 ロバート・シルヴァーバーグ編

 で読むことができます。

 この作品は、邦題からも分かるように、ホジスンの「ナイトランド」のパスティーシュです。とはいえ、その踏み込み方はパスティーシュの域を超えているかもしれません。何と言っても、「ナイトランド」の成立にまで言及しているのですから。
 この作品の元になっているアイデアは、そもそもベアの長編シリーズの核になっている、「道(The Way)」という巨大な構造物です。これは、直径が50キロメートル、長さは無限の人工宇宙だということですが、勉強不足ながら、僕は長編の方を読んでいないので、はっきりとしたことはいえないのですが、おそらく、人工的に作られた一種のワームホールのようなものだろうと思います。この「道」の中を通る事で、様々な宇宙へ移動できるというわけです。この小説中での「ナイトランド」の扱いは、この「道」から開かれた「ゲート」の向こうにある、平行宇宙の一つというものです。ただし、「ナイトランド」のある宇宙は、この宇宙とは余りにも違ったため、非合法に開いた「ゲート」は<病斑>となり、閉じる事もできず、それが両界の宇宙に致命的なダメージを与える危険性を持っています。<角面堡>は、その侵入を食い止めている砦として存在しています。
 この作品が、「ナイトランドクロニクル」の一つとして考えられることは、まずないでしょうが(このような強引な形では、ファンが黙っていないでしょうね)、ベアの、「<道>を使ってナイトランドの謎を説明してやろう」という意気込みが伝わってきて、この作品単体では多少難解なところもあるけれど、個人的には結構面白かった。「おお、『南西の監視者』だ」とか、結構楽しめました。

(shigeyuki)

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 昨日の記事でバロウズの名前を出したが、実は一つ、僕には「もしかしたら」ということがある。想像の粋を出ないから、問題提議程度に考えてもらっていい。
 僕は、「ナイトランド」が出版されたのは、バロウズの「火星のプリンセス」の成功が何らかの導線になっているのではないかという気がしている。その証拠というにはあまりに乏しいのかもしれないが、「ナイトランド」をほぼ十分の一にした「The Dream of X」が、アメリカで出版されたということがある。
 当時は、ウェルズやヴェルヌらの後を継ぐ作家が待望されていた。結果として、バロウズが一歩先んじて踏み出し、パルプマガジンのブームを演出するのだが、ホジスンもその中に名乗りをあげようとしていたのではないかと、僕は考えているのだ。もともとホジスンは、主に生活のために、作品が売れることを真摯に考えていた。だから、マーケットとしてのアメリカを重視し、「The Dream of X」を著作権版として出版したのではないか。そう考えると、この作品がひたすらロマンスに徹しているのも、頷ける気がする。
 kaneさん、どう思いますか?

 それはそうとして、「ナイトランド」には、他の同時代の作品には無い「ユニークさ」があると思う。
 それは、携帯できる食品(サプリメント?)と水、それに、特殊な武器の発明(ディスコス)だ。今でこそファンタジーでは普通になったこうした小道具は、僕の知っている限り、「ナイトランド」以前には見られないのではないか。この点で、ホジスンは明らかにそれ以前の作家と比べて、ユニークだと思う。

(shigeyuki)

 ホジスンの「ナイトランド」を思うとき、いつも考えるのは、「惜しい作品」だということだ。これほど明確に、「傑作になりそこなった偉大な作品」という評価が下される作品は、めったにないと思う。
 
 「ナイトランド」が出版されたのは、1912年。出版はされたものの、殆ど黙殺された。その前年の1911年には、E.R.バローズの歴史的作品「火星のプリンセス」が発表されているが、こちらは後にまで大きな影響を与え続けている。
 僕は思うのだが、もし「ナイトランド」がもっとはっきりと物語としての体裁を整えていたら、この評価は逆転した可能性があるのではないか。「ナイトランド」は、明らかにヒロイックファンタジーの先駆けであるし、世界を描くことに対する執念は、同時代の誰よりも勝っているからだ。

 一読してわかるように、「ナイトランド」の後半は、本当に読むに耐えない。人に勧めるのも二の足を踏む作品だというのは、ホジスンファンである僕でさえ認めざるを得ないのだ。大抵の人は、馬鹿馬鹿しくなって、投げ出すだろうことは目に見えている。
 だが、翻って考えてみれば、この当時、これほど「冷え冷えとした空想世界」を創造できた人が他にいただろうか。「タイムマシン」でさえ、未来人とはコミュニケートできた。だが、「ナイトランド」では外界の存在は全く異質のものであり、人智の理解の及ぶものではないものとして描かれている。それが余りにも徹底しているから、主人公たちの這い入る隙はなく、結果として、ただ二人だけでいちゃついているだけの小説にならざるを得なかった(もちろん、これほどしつこく書く必要はどこにもなかったわけだが)。
 もし、この小説がもう一歩進んで、主人公が「ナイトランド」成立の謎を解こうとするというストーリーになっていれば、この小説はまた全く違った評価になっていただろう。これほど魅力的なオブジェクトを幾つも配置した小説も、珍しかったはずだ。そうしたものを上手く生かすことができていたとしたら、もしかしたら「奇書」という評価ではなく、SF小説史上に、バロウズと並んで、ひときわ明るく輝く古典となったかもしれない。

(shigeyuki)

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