Sigsand Manuscript

ウィリアム・ホープ・ホジスンとその周辺

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 ホジスンの「ナイトランド」を思うとき、いつも考えるのは、「惜しい作品」だということだ。これほど明確に、「傑作になりそこなった偉大な作品」という評価が下される作品は、めったにないと思う。
 
 「ナイトランド」が出版されたのは、1912年。出版はされたものの、殆ど黙殺された。その前年の1911年には、E.R.バローズの歴史的作品「火星のプリンセス」が発表されているが、こちらは後にまで大きな影響を与え続けている。
 僕は思うのだが、もし「ナイトランド」がもっとはっきりと物語としての体裁を整えていたら、この評価は逆転した可能性があるのではないか。「ナイトランド」は、明らかにヒロイックファンタジーの先駆けであるし、世界を描くことに対する執念は、同時代の誰よりも勝っているからだ。

 一読してわかるように、「ナイトランド」の後半は、本当に読むに耐えない。人に勧めるのも二の足を踏む作品だというのは、ホジスンファンである僕でさえ認めざるを得ないのだ。大抵の人は、馬鹿馬鹿しくなって、投げ出すだろうことは目に見えている。
 だが、翻って考えてみれば、この当時、これほど「冷え冷えとした空想世界」を創造できた人が他にいただろうか。「タイムマシン」でさえ、未来人とはコミュニケートできた。だが、「ナイトランド」では外界の存在は全く異質のものであり、人智の理解の及ぶものではないものとして描かれている。それが余りにも徹底しているから、主人公たちの這い入る隙はなく、結果として、ただ二人だけでいちゃついているだけの小説にならざるを得なかった(もちろん、これほどしつこく書く必要はどこにもなかったわけだが)。
 もし、この小説がもう一歩進んで、主人公が「ナイトランド」成立の謎を解こうとするというストーリーになっていれば、この小説はまた全く違った評価になっていただろう。これほど魅力的なオブジェクトを幾つも配置した小説も、珍しかったはずだ。そうしたものを上手く生かすことができていたとしたら、もしかしたら「奇書」という評価ではなく、SF小説史上に、バロウズと並んで、ひときわ明るく輝く古典となったかもしれない。

(shigeyuki)

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